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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110207-00000113-san-soci

 革命の幻想を追い求め、武装闘争路線を突っ走って多数の犠牲者を出した連合赤軍事件から40年近く。死去した永田洋子死刑囚はその中心にいた。その闘争は逮捕後も続き、拘置所内で手記を執筆するなどして、日本中を震撼(しんかん)させた事件の「総括」を続けていた。

 永田死刑囚は昭和20年、東京都文京区に生まれた。父は電機会社員、母は看護師。中学、高校は私立の女子校へ。共立薬科大進学後、ベトナム反戦デモや集会に参加し、次第に政治活動にのめり込んだ。過激な路線を主張し、反対者を「革命家として未熟」と批判。連合赤軍の最高幹部にまで上り詰めた。

 ゲリラ闘争を掲げる連合赤軍は、「革命戦士」になるための軍事訓練を実践。その過程で、永田死刑囚らは逃げ出したメンバー2人を殺害。仲間に「総括」と称する自己批判を迫り、殴打や手足を縛って厳寒の野外に放置するなどのリンチを繰り返した。凄惨(せいさん)な事件は社会に衝撃を与え、「総括」は恐怖の言葉となった。

 「同志殺害の原因は、当時の誤った革命理論に求められるべき」。昭和57年3月、1審東京地裁での最終意見陳述でそう主張したが、判決は事件の原因を「永田被告らの個人的資質の欠陥」と指摘。「自己顕示欲が旺盛、感情的、攻撃的、強い猜疑(さいぎ)心、嫉妬心」と欠陥を列挙した。

 公判中から事件を「総括」するためとして、「十六の墓標」などの手記執筆に励んだ。しかし、その身体は病にむしばまれていった。

 手記の序文を書いてもらったことを契機に、作家の瀬戸内寂聴さんと文通。瀬戸内さんは控訴審に証人として出廷し、「被害者の一日一日を思い出し、責任を痛感している」「生きて事件の意味を考えさせてほしい」と死刑回避を訴えた。

 死刑確定の直前には、面会した関係者に「死は怖くない。生きてもう一度闘いたい、と思うことが心の支え」と語ったという。闘争に思いをはせ、刑が執行されないまま、病に倒れた永田死刑囚は、人生をどう「総括」したのだろうか。

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